母の葬式

母が死んでから、もう2年が経つ。
もう2年、と思う反面、なにやら、ものすごく遥か彼方の出来事のような気もする。

急な事だった。
肝臓が悪くて、入退院を繰り返してはいたが、治療可能な状態だったので、そこまでの心配はしていなかったのに。
意識が薄れてきて、このままだと完全に何もかも分からなくなってしまうと連絡を受けたのが11月末。
お互いが分かるうちにどうしても会っておきたいと思い、12月1日に飛んでいった。

涙の再会。 

大声で呼び起こすと、何処からともなく戻ってくる。
この状態から脱することができると聞き、取敢えずは安心してみたが、体力次第なので
100%ではない。
担当医の「今すぐ、どうこうって事はありませんから」の言葉を信じて、またパリへ。
なのに、帰宅したその夜、危篤の電話。

そして、次の日の夜、母は逝った。

戻った次の日に、また日本へトンボ帰り。
精神的にも体力的にも限界の私に天はごほうび。
フル・ブッキングでグレード・アップ。
エコノミークラスの席がビジネス・クラスへ。
ああ、楽チン。 
テイク・オフする頃には、ぐっすり眠ってしまい、迂闊にも夕飯を逃してしまう。
こんな状況下に於いても、機内食を忘れない私って、、、。
ゴメン、お母さん。
あ、もちろん食べましたとも。 しかも、CAを呼んで、「ください」ってね。

成田空港から直接、斎場へ。
よかった。お通夜にも間に合った。

つい先日、別れの時に握った温かな手は、悲しいほど冷たくなっていた。
もちろん、横たわっている母は、特別に冷たくされてる。
この冷たさ。 想像以上に冷たくて、もうこの世にはいないことを嫌って言うほど実感。

続々集まってくる親族達。
海外に出てしまっている私には、本当に久々の顔。
皆にご挨拶。
叔母ともいえるほど、年の離れたいとこ。
彼女のお母さん、つまり私の叔母は小さい頃一緒に住んでた事もあった。
たしか、数年前、脳卒中で倒れたっけ。
そんな記憶をたどりながら、ご挨拶。
「叔母ちゃんのお葬式には出れなくて残念でした。」と。
一瞬、空気が止まった。
すると、いとこが「まだ、生きてるんだけど、、、。」って。
えっ?! ええ~~~~!!
こりゃまた、とんだ失礼を。

お通夜の前のしんみりした雰囲気が、一挙に崩れた。
ここは寄席か?と思うほどの大爆笑。
ああ、お母さん、ごめん。 
そして、叔母ちゃんもごめん。 故人にしてしまった。

お通夜が始まる。

先ずは、母にいわゆる「死装束」を着せる。
係りの方が、身に付けるものをひとつひとつ説明してくださる。
それを、親族がペアになって着せていくのである。
初めての経験。 こういっては何だが、とても勉強になる。

幼い頃、近所のお婆さんのお通夜に出席した事があった。
青白い祭壇はきれいだと思ったが、おばあさんが身につけていた「死装束」に
びっくり、がっかりした記憶がある。
頭の上の白い三角。連想したのは「8時だよ!全員集合!」のコント・シーン。
バチが当たるって。

子供心に、「死装束」のカッコが受け入れられなかった。
その時、私は何を思ったか。
「私は絶対こんなカッコはしたくない」
しかも、死んでまで尚、三途の川まで辛い旅路があるという。
私の決意に拍車をかけた。

いやいや、そんなことは言ってられない、母のお通夜。
仏教の慣わし。避けては通れない。
それでも、頭の上の白い布は、遺族の意思でどちらでもいいと。
喪主の姉が、丁重にお断り。
人相が変わっちゃうよねって後でぽそり。

準備完了。

親族は、祭壇の近くの席に座り、参列者を待つ。
参列者の席がかなり埋まってきた頃に、事もあろうに、こんな時に、我家のゴシップを叔母様方が話し始める。しかも、大きな声で。
おいおい。 何考えてるんだ。 
すっかり井戸端会議状態の彼女達。
そこで、ピッと一言。
「叔母様方、少しお声が大きゅうございますよっ!」(阿川佐和子風に)
効いた、効いた。
一瞬にして、先生に怒られた幼児のようにシュンとなった。
ああ、情なや、、、。

いろいろな方のご協力で、無事終了。
お坊様を交えての通夜振る舞いも滞りなく進んだ。

終始、私たち兄弟(姉、兄、私)は最前列に座っていたから、気がつかなかったことがあった。親族の一番後ろに座っていた姉の息子から面白い話が。

御坊様のお経の間、ひとりの叔母が居眠りをしていたと。
しかも、お経の合間に打つ鐘の度、ビクビクっと「いけない、いけない起きなくちゃ」
と頭を上げる。 が、すぐさま、船をこぎ始める。
そして、鐘。 ゴ~ン。  ビクビクッ。 ゴ~ン。  ビクビクッ。

おいおい。

お葬式はドラマだ。
故伊丹ジュウゾウ監督も、映画になさっていたし。
そんな話を友人Kにしたら、彼女も大笑いの経験をしたそう。

自宅でのお通夜の席。
お焼香の時、慌てたおばさんが立ち上がる時に、横にあったポットを押しちゃった。
そう。ご想像の通り。
立ち上がった瞬間、ポットのお湯がジャ~~!
アツイはビチョビチョだわで、大騒ぎ。
Kさん、お葬式を忘れて、思わず吹き出しちゃったそうだ。

しんみりしたお葬式も良いけれど、笑いのあるお葬式。
そんなのが、私はいいかも。 
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by suzume-no-oyado | 2006-12-16 20:56 | 暮らし | Comments(6)
Commented by ポポ手 at 2006-12-17 13:06 x
生きてる叔母ちゃんを死んだことにしてしまっても爆笑が起きるってなんかあったかくていいね。笑いのあるお葬式、いいですよね。あまりに若くして死んでしまったら無理だけれど、平均寿命くらいいけば笑いがあるほうが故人も心置きなく昇天できる気がする。そのためにも私も長生きしなくちゃ(なんて思わずとも、「あんたは長生きする」となぜか子供にも夫にも元彼にも言われる私…)
Commented by suzume-no-oyado at 2006-12-17 16:31
ポポ手さん、私の祖母は99歳で天寿全うって感じでした。
その時の叔母達の反応が、「どうしようお母さんに似ちゃったら。」「こんなまで長生きしたくないわ、私。」でした。
別に祖母はさほど長く寝たきりではなかったのですが、まったくこの娘達。
でも、そんなものなのでしょうかねー。
私も、ポポ手さんは長生きすると思いますよ。なんでかって?
心配性の人は、ボケませんからね~。
Commented by mirabellier at 2006-12-18 22:00
どうして真面目な席ほど、おかしい事件が勃発してしまうのでしょう??本当に、笑って見送ってもらえた方が亡くなった方も幸せ(笑)!だといいです・・。だってこれから頭蛇袋をさげて三途の川渡らなきゃ、だし。
Commented by suzume-no-oyado at 2006-12-19 00:12
miraさん、ホントですよね。結局、「きちんとしなくちゃ」で、緊張してるって事なのでしょう。
骨揚げ(骨壷に遺骨を入れる)時なんて、ペアで組んでいた叔父さんの手がぷるぷる震えちゃってて、骨が飛んだろどうしようってすごく心配しました。
何事も起こらなくて良かったです。

そうそう、「頭陀袋」。よく母に「そんな頭陀袋みたいなもの下げて」なんていわれてましたが、ここで使われているものとは知らなかった。
これに、ご飯とコピーされた六文銭をもって旅に出るのです。
「三途の河も金次第」はここから来ているのも、この日に知りました。
本当に私って何も知らなかったと痛感した一日でした。
Commented by OKU at 2006-12-19 02:05 x
そうそう、お葬式のしきたりって、知らないことが多いですよね。義父のお葬式のときに、胸に守り刀をおいて、足元にわらじが置かれるのを見て、う~む、とうなりました。言っちゃあ悪いが興味深かったです。さくらももこのおじいさんのお葬式のエッセイ、最高ですよ。口がどうしても開いてしまうので豆絞りの手ぬぐいで頭をぐるりと巻き、足が長くて棺におさまりきれず、ひざを曲げ、両手も重ねて片方のホホのそばに・・・という姿だったそうです。なんだかドジョウすくい・・・とか書いてあって、そのお葬式でも笑いを耐えるのに必死だったそう。お葬式って悲しいんだけどいろいろなハプニングがあるものですよね。不思議。
Commented by suzume-no-oyado at 2006-12-19 05:24
OKU、そのエッセイ読みました。大笑いでした。

お葬式の最中に、ふとどき者の私は、過去に呼んだことのある「お葬式のハプニング」を思い起こしていました。
自宅で葬儀を行なって、出棺の時に階段をこけて、お棺が投げ出され、その衝撃で釘が取れ、中からじいさんが飛び出した、とか。
そんなこんなを思い浮かべて、「ここで失敗したらただじゃ済まないからね」って係りの人の一挙一動をチェックしていた私です。


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